第8章 キャッチ&リリースは正義か|日本と欧州のマグロ釣り倫理のズレと現実

マグロ!本気コラム
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第8章 キャッチ&リリースは正義か──日本と欧州、そのズレの正体

第7章では、現代が「魚を確実に見つけられる時代」になったという現実を確認した。では、見つけて、掛けて、寄せた後はどうするのか。釣ったマグロを持ち帰るのか、それとも逃がすのか。

この問いに対して「逃がすのが正義」という見方が、特にSNSや一部メディアでは支配的である。欧州のキャッチ&リリース文化が称揚され、日本の「持ち帰り前提」の姿勢は後進的に語られがちだ。しかし、両者の制度と現場を詳しく追うと、「正義」の内実はきわめて複雑な様相を呈している。

日本の現実──「逃がしたいから」ではなく「逃がさざるを得ないから」

現在の日本は、世界的に見ても極めて厳しい資源管理の枠組みの中にある。水産庁による太平洋クロマグロ遊漁規制では、30kg未満の小型魚は年間を通じて採捕全面禁止、30kg以上の大型魚についても月別・海域別の厳格な採捕枠(各月4.2トン)が設定されている。2026年4月からは事前届出制も導入され、違反時には改正漁業法に基づく罰則も適用される。まさに世界屈指の管理体制である。

この結果、現場では大量のリリースが発生している。しかし、その中身を見ると「枠が埋まっているから」「30kg未満だったから」という理由によるものが大半を占める。つまり、日本のリリースは、アングラーの自発的な選択というより、法的制約による「結果としてのリリース」なのである。ここに日本の決定的な構造的特徴がある。

アングラーの指摘する「捕まるからリリースしているだけ」という表現は、やや刺激的ではあるが、実態の核心を突いている。つまり、日本のアングラーたちは持ち帰る権利を行使できないから逃がしているに過ぎず、リリースを「善き行い」として内面化しているわけではない。この点が、欧州のそれとは出発点からして異なっている。

欧州の現実──「やりたくてやっている」わけではない

一方、アイルランドや英国では政府主導の科学調査プログラム「Tuna CHART(Catch, Handle, And Release of Tuna)」が実施されている。2026年は最大25隻の指定チャーター船のみが参加可能で、釣ったマグロには必ずタグを装着し、船上引き上げを禁じた上ですべての魚を完全リリースする。これは非常に先進的に見える取り組みだ。

しかし、その背景には決定的な事実がある。ICCAT(大西洋まぐろ類保存国際委員会)の取り決めにより、アイルランドや英国にはマグロの商業漁獲割当が事実上存在しない。法的に持ち帰る選択肢が一切ないため、キャッチ&リリースを前提とするしかないのである。「意識が高いからリリースしている」のではなく、「リリース以外の選択肢がないから」リリースしている。これは日本の「規制で持ち帰れないからリリースする」構造と、根っこでは驚くほど似ている。

比較して見える本質──「やらされている」という共有点

項目日本欧州(アイルランド・英国)
出発点利用(食文化)科学調査・資源保護
リリースの動機規制対応(枠・サイズ制限で持ち帰れない)制度前提(商業割当がないため持ち帰れない)
内面化の度合い低い(「仕方なく」の意識が強い)中程度(調査協力という意義はあるが自由意志ではない)
行動の性質結果としてのリリース前提としてのリリース

どちらも「制度に縛られている」という点では共通しており、純粋なアングラーの自発的意志だけで形成された文化ではないことが分かる。

さらに深い問い──そもそも「キャッチ&リリース」は普遍的な正義なのか

ここで視点を一段上げて考えたい。「キャッチ&リリースは正義か」という問いを立てるならば、私たちは欧州のモデルを唯一の正解として暗黙裡に前提していないだろうか。

実は、欧州の中でもキャッチ&リリースへの態度は一枚岩ではない。ドイツでは動物保護法の観点から、娯楽目的のキャッチ&リリースが「動物虐待」として禁止されている。ドイツの釣り文化では「命あるものを釣る以上、責任をもって持ち帰る」という考え方が根底にあり、「釣って逃がす」ことは倫理的に問題があるとされるのである。

英国で称揚される「リリースの正義」と、ドイツで禁止される「リリースの残酷さ」──この矛盾こそが、キャッチ&リリースをめぐる倫理が普遍的なものではなく、文化的・歴史的に構築されたものであることを如実に示している。安易に「欧州は意識が高い」と総括することは、この複雑な現実を見落とす誤りである。

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不都合な真実──リリース後死亡率

では、「逃がせば命は救われる」という単純な図式は成り立つのか。科学的観点から言えば、答えはNOである。そこには「リリース後死亡率(Post-Release Mortality)」という不都合な真実が存在する。

英国の教育訓練を受けた漁船によるデータでは、リリース後死亡率は3.4%と報告され、英国政府が2024年に実施したCRRF(Catch and Release Recreational Fishery)では、全漁獲の98.7%が良好または極めて良好な状態でリリースされ、船上での死亡率はわずか0.21%だった。しかし、南半球のミナミマグロを対象とした研究では、リリース後の生理的ストレスが顕著で、条件次第で死亡率が大きく上昇することが確認されている。適切な条件でも数%の死亡率は避けられず、悪条件では10〜20%に達する。「逃がせば命は救われる」というのは、残念ながら人間側の幻想に過ぎない。

ズレの正体──「何のために釣るのか」

それでもなお、欧州と日本には決定的な違いが一つある。それは「何のために釣るのか」という出発点の差である。

欧州(少なくとも英国・アイルランド)のアングラーは「逃がす前提で釣る」。体験そのものが釣りの完成形として自己完結している。対して日本のアングラーは、少なくとも心情の上では「獲る前提で、結果として逃がす」。マグロは長らく食文化と直結した獲物であり、規制によってその形が変わりつつあるが、価値観の転換がまだ追いついていない過渡期にあるのだ。これは「遅れ」ではなく、文化的な「ズレ」として理解すべき現象である。

結論──「正義」を問うことの正体

では、キャッチ&リリースは正義なのか。この問いに単純な答えはない。

欧州は完璧な「正義のモデル」ではない。ドイツがキャッチ&リリースを禁止し、英国が推奨するという事実そのものが、「正義」が文化によって異なることを示している。日本は単に遅れているわけでもない。規制対応のリリースであっても、結果として資源保護に貢献していることは事実だからだ。

しかし、アングラーの指摘する「捕まるからリリースしているだけ」という日本の現実は、一つの重要な課題を浮き彫りにする。それは、「ルールだから仕方なく」を超えた、アングラー自身の内発的な倫理をどう構築するかという課題である。

最も重要なのは、逃がすか持ち帰るかの二元論ではない。「自分が何をしているか理解しているか」という点に尽きる。マグロにダメージを与えていること、リリースしても一部は死ぬこと、それでも釣るということ。この現実から目を背けてはいけない。

その現実を理解した上でどう釣るか。ファイト時間を短くする、水中でフックを外す、回復を確認してから離す。英国のベストプラクティスに見られるように、教育と訓練によって死亡率を大幅に低減できることも分かっている。その積み重ねが、単に「逃がした」という結果を、命を「返した」という行為に変える。

キャッチ&リリースが「正義」かどうかは、制度や文化によって答えが変わる。しかし、「自分の行為の結果に責任を持つ」ことは、いかなる文化においても普遍的な倫理である。それこそが、これからのマグロキャスティングに求められる視点なのだ。

Sources

Source内容URL
水産庁太平洋クロマグロ遊漁規制・採捕上限・届出制度・2026年4月以降のバッグリミット変更https://www.jfa.maff.go.jp/j/yugyo/y_kuromaguro/kyouryokuirai.html
水産庁令和7年度太平洋クロマグロ資源管理・小型魚採捕禁止・大型魚規制詳細https://www.jfa.maff.go.jp/j/suisin/s_koukan/attach/pdf/index-468.pdf
Fisheries IrelandTuna CHART 2026 FAQ・最大25隻の認可スキッパー制度・タグ装着・完全リリース義務https://www.fisheriesireland.ie/tuna-chart-2026-faq-guide
ICCAT大西洋クロマグロ管理・各国割当状況https://www.iccat.int
MMO(英国海洋管理機構)2024年CRRF統計・98.7%が良好状態でリリース・死亡率0.21%https://www.gov.uk/government/organisations/marine-management-organisation
Angling Times英国BFT遊漁における訓練漁船のリリース後死亡率3.4%の報告https://www.anglingtimes.co.uk/news/stories/anglers-unhappy-with-uk-bluefin-tuna-fishery/
NOAA Fisheriesマグロ類のPost-Release Mortality研究データ・ミナミマグロ生理的ストレス研究https://www.fisheries.noaa.gov

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